生い立ち
中学では、陸上競技部に入部するも、2年時に挫折。それでも、進学した高校でまた陸上競技の門戸を叩いた。部員や練習環境に恵まれていたとはいえない。チームは駅伝に出場できず、またチーム2番手の選手とも5000mで1分以上の開きがあった。しかし、そんな逆境もものともせず努力し、3年時には見事3000mSCで府大会4位、目標としていた近畿大会の切符を手にした。その走りが評価され、陸上競技で大学に進むことになる。
屈辱
進学した大学は、今でこそ強豪校であるが、当時は関西でも「3強」に届きそうであと1歩届かない、いわゆる「ちょっと強い大学」。5000m14分台の選手が中心に入部する「3強」とは異なり、15分前半の選手が多くを占める環境で、切磋琢磨しながら「出雲駅伝」「全日本駅伝」の出場、そして「丹後駅伝」での3強崩しを目指した。藤本もひたむきに練習に取り組み、順調な成長を見せ、1年生時には、10000mの自己記録(31分37秒)を更新している。
しかし、大学2年時の1月、主務候補として名前をあげられる。この記事をお読みになる方であれば大方察しはつくと思うが、強豪校で主務やマネージャーへの転向を言い渡されるのは、事実上の引退勧告である。「走るために進学したのに走れないなんて…。」やり切れず、酒やタバコを始めた。
それでも、チームのために何ができるか、考え駆け抜けた。この頃、チームは丹後駅伝では「3強」に割って入ることもあるなど、後に強豪校として名を馳せるための土台を築いた。個人でも関西インカレで優勝する者や、卒業後に実業団で活躍する者も出始めた。藤本はそのときのことを、「みんなの笑顔が一番好き。」と振り返る。
絶望と希望
大学卒業を機に、競技からは足を洗い、身寄りの少ない関東で社会人生活を始めた。氷点下20度の倉庫内で12日連続夜勤に従事するなど、想像を絶するような労働環境。3年間働いた。でも、あるとき仕事を辞めた。もう無理、少しくらいゆっくりしよう、そう考え、実家の近くの田舎の一軒家で、1人暮らしを始めた。
しかし、それは想像を絶するほどつらいものだった。同級生は社会人として働いている。どうして自分だけ…枕を濡らす日々が続いた。ある日、高校時代、ともに近畿大会に出場した友人の1人から、結婚式の招待状が来た。
「無職やけど、行ってええんか?」『関係あるかい。』
こっちはつらいねん。空気読んでくれ…と思った。でも、同期は大好きだし、せっかくの晴れ舞台、呼ばれたからにはいかないと。なけなしの3万円を握りしめて会場に足を運ぶと、そこにはかつての戦友がたくさんいた。そこで、彼らが作った陸上サークルGRowingMANの一員として「市民駅伝に出よう」と誘われる。転職先が決まったらまた走ろう、素直にそう思えた。転職先を決め、どうせでるならと猛練習に励み、出場した駅伝で区間賞を獲得。俺って案外やるかも、と市民ランナーとして走る楽しさを知った藤本。後にたくさんの友達もでき、充実した生活を送ることになる。
普通ならこの話はここで終わるのだが…
~再起~
「放送大学に入って丹後駅伝に出よう!」
またかつての戦友からの誘いだった。本当にバカだこいつら、でもどうせ1回目は出れなかったんだ。「60年やります!」と当時監督を引き受けてくれたキャンパスの所長にでかでかと宣言し、2回目の学生陸上ライフが始まった。初年度は新型コロナウイルスの影響で満足に大会に出場できず、丹後駅伝の記録審査にも参加すらできなかったが、その悔しさを胸に、翌月の記録会では、学内3位(当時)の記録を出す。そして、1年の時を経て出場した丹後駅伝。7区繰り上げスタートとなった藤本は、覚悟を決めてスタート。積極的に集団を牽引し、10kmを31分17秒と自己ベストを上回るスピードで通過し、チーム最高位となる区間12位を獲得。俺、やるやん。いうまでもなく打ち上げでは大声で自慢して回り、ともに歴史を作った仲間との美酒に酔いしれた。
その冬、彼は(一度目の)大学時代主務となった他大学の同級生に声をかけた。
「放送大学に入って丹後駅伝に出よう!」
後輩を迎え、2回目の丹後駅伝に臨む藤本は、今日もお酒を吞みながら区間1桁をとりたいと意気込む。どんな走りを見せてくれるのだろうか。そして、後57年間、どんな競技生活を過ごすのだろうか。
【文責:山口雄也(放送大学 関西陸上競技部 広報)】
藤本純司(ふじもと・じゅんじ)プロフィール
1993年9月6日生まれ。29歳。
教養学部3回生
大阪府河内長野市生まれ
上宮高校出身
専門種目は長距離種目、3000mSC
趣味は飲酒
好きな言葉は「日本は家」
<ベスト記録>
3000mSC 9:31.88
5000m 15:13.43
10000m 31.37.58
<過去の戦歴>
中学で陸上競技を始める。上宮高校時代には、近畿インターハイに出場。その後、大阪経済大学に進学するも、駅伝出場経験はなし。4年のブランクを経て、放送大学へ入学し、仕事とランニングの両立に励む。
<今シーズンの結果>
・5月28日 第99回関西学生陸上競技対校選手権 男子2部3000mSC決勝12位
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