オリックスの“新”能見篤史「野球小僧にもどったみたいにワクワクしてます」

代名詞の美しいワインドアップから放たれるキレのあるフォーク。
阪神タイガースでは左のエースとしてチームを支え、2012年には最多奪三振のタイトルも獲得したベテランサウスポー能見篤史投手(41)。
近年は先発だけでなくリリーフとしても活躍、どのポジションでも第一線でキャリアを築いてきた真のプロフェッショナルです。
昨シーズンをもって16年間在籍した阪神を退団し、今シーズンからオリックス・バファローズに移籍。投手兼任コーチの肩書もつき、パ・リーグでは最年長投手となりました。
キャンプでは若手に混じってタイム走で汗を流し、初日から連日ブルペンで投げ込みを行うなど、年齢を感じさせないハツラツとした動きで17年目のシーズンを迎えようとしています。

能見「すごく新鮮です。野球小僧に戻ったわけではないですけど、そんなワクワクした気持ちでやっています。」

新しいサインに一文字 “新” と書いた

痛みで投げられない! “幻の投手”と呼ばれた大阪ガス時代

 40歳を超えて現役を続ける能見投手ですが、実はプロ入り前に野球人生のターニングポイントとなる“引退危機”を経験していました。
鳥取城北高時代から井川慶投手(水戸商高) 、川口知哉投手(平安高)とともに「三羽ガラス」と称されプロの注目を集めていた能見投手。
しかし、大阪ガス入社2年目から肘と肩の張りを訴えます。
やがて投げると激痛に!

能見「肘がすぐ痛くなって、2ヵ月くらい休んでまた投げ始めたら今度は肩が痛くなっての繰り返しだったので、それが4年くらい続いていた。(プロ野球の)スカウトも毎年のように見にきてくれていましたし、憧れは持っていました。でも、怪我している時は行きたいっていう気持ちは全然芽生えなかったですね。」

「野球人生が終わってたかもしれない」大阪ガス時代を振り返る

投球練習もままならず、スカウトが見に来ても投げる姿を見ることが出来ない。
能見は「幻の投手」と呼ばれます。

恩師から突きつけられた“最後通告”

大阪ガスに入社して5年が過ぎた2002年12月、野球部の面談の場で湯川素哉監督(当時)に “最後通告”を告げられます。23歳の冬でした。

湯川「何人かのお医者さんには診ていただきましたけども、彼の場合は怪我ではないと我々は認識してましたので、相当肘肩に不安があったんでしょうね。それと痛かったのも事実だと思います。ただ、チームの戦力としても考えられないくらいのレベル。『来年もう1年残すけれども、結果が出なかったら社業に戻す』とはっきり言いました。」

自身も早稲田大から大阪ガスで主力として野球を続けた湯川さんは言います。

湯川「彼はプロに行けると言われていたのに、そのチャンスを自分の身体の不調が原因で諦めてしまうのかと。肩肘の不安があったという事が原因ならば、それを払拭して痛くても投げる。実力がなくて辞めるか、故障して辞めるかの選択を彼にして欲しかった。」

湯川元監督「肩と肘の痛みはケガではなかった。不安だったんでしょうね」

痛みが消えていった…!

最後通告を受けた能見投手は監督の言葉で覚悟を決めます。

能見「最後通告を受けた時に肘肩が壊れてもいいという判断に僕は至った。何かちょっとでも少しでもチームに貢献して終わりたいなっていう気持ちが芽生えた。」

1日70球程度だった男が、200球を超える投げ込みの日々。

能見「それは相当痛かったですよ。休んでいた分を休まないようにして無理矢理投げているんですけど、壊れてもいいと思っていたので。本当だったら壊れる方もあったと思うんですけど、僕の場合は投げ続けていると今度は痛みが消えていった。そこからですね、肩肘の不安がなくなったのは。」

猛練習を乗り越えた能見投手に奇跡が起こったのです。

湯川「元来、基礎体力があって能力がありますから。著しく球筋が変わったり、そんなに制球力の良い印象もなかったのにどんどん投げ込むことによってしっかりストライクが取れる、変化球でもストライクが取れるというように力が伸びていった。練習すると私は試合に使いますので、結果が出て次もチャンスがもらえる、というように良い方向に回っていった。」

翌2003年、湯川さんは日本選手権の予選から能見投手を起用しました。
本戦の2回戦では、九州三菱自動車相手に完投勝利。
これを機に日本代表にも選出されます。
2年連続でチームを日本選手権準優勝に導いた能見投手は2004年、自由獲得枠で阪神タイガースに入団、25歳でした。

能見「こいつ本当に投げへんなと思っていたと思うんですよ(笑)。湯川さんも最後通告するのは結構苦しかったと思うんですけど、やっぱり背中を押してくれたので。自分の気持ちを良い方向に導いてくれた。あの言葉がなかったら多分僕はプロでやっていないと思います。」

あの最後通告がなかったら……追いこまれていなかったら…覚悟が決められたかどうか?
23歳で終わっていたかも知れないキャリアは、その後プロで17年続くことになります。

去年11月、阪神タイガース最終戦。
縦縞のユニホームを脱ぐ日、能見投手は湯川さんを甲子園に招待しました。

湯川「彼が呼んでくれた時も電話で『おかげさまで肘肩全く痛くない』って言っていましたから。『それならまだ(野球)やるねんな』言うて(笑)『一応まだやりたいと思っています』って。(最後通告を)言った甲斐があったかと思います。すごい選手やと思いますよ。今回も彼が辞めると言えば現役を辞められたはずで、普通は戦力外と言われるんだけど。彼が現役として最後を迎える時は自分で決められる選手になった。」

能見 篤史 (のうみ あつし) プロフィール

兵庫県豊岡市出身
1979年5月28日生まれ 41歳
左投げ左打ち
ポジション:ピッチャー
鳥取城北高校〜大阪ガス〜阪神タイガーズ(2005-2020)〜オリックス・バファローズ(2021-)
最多奪三振タイトル(2012年/172奪三振)
月間MVP : 5回

湯川 素哉 (ゆかわ もとや) プロフィール

京都府宇治市出身
1963年12月26日生まれ 57歳
ポジション:外野手
宇治高(現立命館宇治高)〜早稲田大学〜大阪ガス
早大時代は1年生から4番に座り首位打者を獲得、ベストナインに選出
和田豊や広澤克実らと日米野球のメンバーに選ばれた
現役引退後、大阪ガス監督として日本選手権準優勝2回
現在:大阪ガスオートサービス代表取締役社長

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