どんな困難も前を向いて突き進む
パラアーチェリー日本代表、上山友裕(うえやまともひろ)選手(34歳 三菱電機所属) ニックネームは「東大阪のケンタウロス」。車いすの上から70メートル先の的を射抜きます。
現在、世界ランキング3位。652点というパラアーチェリーの日本記録を持つエースアーチャーです。どんな困難も、前向きに捉え、目標に向かって突き進む上山選手。しかし、夢だった東京パラリンピックでは、まさかの結果に・・・。大会を終えた上山選手が自らに課した試練とは!?不屈のポジティブパラアーチャーの6年を振り返ります。
「この足のおかげで今がある」 社会人1年目で両足のマヒ発症写真
取材を始めたのはリオ・パラリンピック出場を目指していた2016年。この時すでに、4年後の東京パラリンピックを見据えていました。
(上山)「目標は東京パラリンピックで金メダルを取ることなんですけど、やっぱり、リオに出て東京へと、しっかりと踏んでいかないと東京の時に有終の美を飾れないと思うんで。」
同志社大学でアーチェリーを始めた上山選手。当時は部活でアーチェリーを楽しむ大学生でした。ところが、社会人1年目の冬に、原因不明の両足のマヒを発症し、今では車いす無しでは生活できなくなりました。しかし、この障害がパラアーチャー上山友裕誕生のきっかけとなったのです。
(上山)「この足のおかげで今があると思っていますし、実際 障害があるからしんどいとは思わないですし。本当に、この足のおかげで今の自分があると思えているので。」
どんな困難もポジティブにとらえる上山選手。あっという間に日本のトップ選手に駆け上がり、2016年にはリオ・パラリンピックに出場。7位入賞という成績を残し、4年後の東京パラリンピックに向けては、なんとも上山選手らしい目標を語ってくれました。
(上山)「金メダルを獲るという目標はずっと変わらないです。それと、テレビカメラの取材ブースに、カメラがいっぱいあるという状況にしたいというのと、最後は観客席を満員にしたいというのがあります。」
「会場を満員にしたい」 アーチェリーの魅力発信に尽力
目標を実現するために、精力的に講演会やメディアに出演。小学校を訪れた際には、まっすぐに矢を放つ姿に子供たちから拍手喝采。明るく親しみやすい人柄で、最後は子供たちに囲まれ、サイン攻めに合うほど盛り上がりました。
2018年には、生まれ育った東大阪市をスポーツで盛り上げる広報担当「東大阪市スポーツみらいアンバサダー」に就任。こうして、アーチェリーの魅力を伝え、ファン獲得に力を注いできた上山選手。2019年4月の「Fazzaパラアーチェリーワールドランキングトーナメント ドバイ大会」では優勝。同年5月、「パラアーチェリーヨーロピアンカップ イタリア大会」3位と、国際大会でも着実に結果を残し、大会1年前に東京パラリンピック出場が内定したのです。
すると、記念貨幣の打初め式や日本選手団の制服発表会見など、「東京2020」の公式イベントのオファーも多数舞い込み、いつしか東京パラリンピックの顔になっていきました。
無観客で迎えた夢の舞台 まさかの結果に・・・
ところが、新型コロナウイルスの影響で、大会5か月前に1年の延期が発表。それでも上山選手はポジティブに受け止めていました。
(上山)「今よりも、絶対に1年5カ月先のほうが上手くなっているはず。会場が満員の中で金メダルという目標に向けて、そこは変わることはないので、1年延びたとしても、しっかりやっていくだけかなと思います。」
収束を見せないコロナ禍の中、東京2020聖火リレーがスタート。上山選手も聖火ランナーとして聖地の火を運びます。さらに、念願のオリックスバファローズの始球式に招待され、車いすでマウンドに登場。生まれながらのバファローズファンだという上山選手。大会前、最高の景気づけとなりました。
(上山)「いま夢を見てるんちゃうかなって・・・。パラの世界に入って、京セラドームの始球式に呼ばれるような選手になりたいって思っていたので、それを叶えるのに10年くらいかかったんですけど。10年間言い続けてきた夢を今日、叶えることができたので、やっぱり夢は口に出して言い続けるべきだと思いました。」
東京パラリンピック大会当日、満員の会場で迎えるはずだった夢の舞台は、新型コロナウイルスの影響で無観客開催となりました。さらに、雨が降りしきる中での決勝ラウンド1回戦。上山選手は、1射目に10点を射抜き、完璧なスタートを切るも、その後は大きく的を外し、結果は1回戦でまさかのストレート負け。金メダルの夢は、儚く消えました。
(上山)「すごい重圧みたいなのが掛かっている状態で、体が全然動かなかった。どう修正していいか分からなかったですね。」
ゼロからの再スタート ポジティブ思考でどん底から這い上がる
東京パラリンピックを終え、失意の上山選手でしたが、競技をやめるのはいつでもできると、持ち前のポジティブさで、さらなる進化を目指します。東京オリンピック銅メダリストの古川高晴選手、女子日本代表の山内梓選手を指導した大学アーチェリーの強豪、近畿大学の山田秀明監督、金淸泰(キム・チョンテ)コーチに師事を仰ぎました。
(上山)「今までの僕をつぶしてもらっても大丈夫です。もう何もかも全部つぶしてもらってゼロから教えてください。イチからじゃなくてゼロから教えてくださいと話をして、まず弓の持ち方とか、そういうところから変えてやりました。でもいきなり70mは打てないので、まずは、2メートル、3メートルぐらいの短い距離からひたすら打ち続けて、フォームを体に染みつけさせる練習をずっとしてたんです。」
ゼロからの再スタート。苦手だった筋トレも取り入れました。新しいフォームを体に叩き込むため、自宅のガレージにこもり、2か月間、黙々と弓を引き続けました。
さらなる進化を遂げ、目指すは世界ランキング1位
再スタートした上山選手の初戦は、パラリンピックに並ぶもう一つの世界大会、「パラアーチェリー世界選手権」。ことし2月にドバイで開かれた大会で、上山選手は順当に勝ち進みます。
決勝戦の相手はパラアーチェリー世界ランキング1位でフランスのギヨーム・トゥクレ選手。左腕に障害があるため、立った状態で、片腕で弓を持ち、矢は口で加えて打ちます。5セットマッチで行われるアーチェリー競技。
アーチェリーは、射撃の正確性を競うスポーツ。的の中心に向かって同心円状に1点から10点が定められ、的の中心である10点の円の直径は、わずか12.2センチ。その的から70メートル離れた場所で、決められた本数の矢を放ち、合計で高得点を出した選手が勝ちとなります。1セット3射で、合計得点の高い方に2ポイント。同点なら1ポイントが与えられ、6ポイント先取で勝利となります。
上山選手は、着実に高得点を重ね、第2セットを終えて4ポイントを先取。勝てば勝負が決まる第3セットは、2射目を7点に外したことが響き、このセットを引分け。ポイントは5対1と、優勝に王手をかけながらも、王者トゥクレ選手が巻き返します。5対5の接戦にもつれ込み、勝負の行方はシュートオフへ。中心に近いほうが勝利となる1射勝負のシュートオフ。この一本にすべてを託します。
まずは先攻のトゥクレ選手。矢は中心から少し外れて8点の的に。そしていよいよ上山選手のラストショット。まっすぐに放った矢は見事、9点を射抜きます。ガッツポーズで、喜びを爆発させる上山選手。日本人初の世界選手権優勝、東京パラリンピックから半年、念願の世界一に輝きました!
(上山)「よかったですね。日の丸が真ん中で上がって、君が代が流れるっていうのは、何回か経験していますけど、あれはすごい良かったなと思います。」
万感の思いで涙をぬぐった表彰台。その胸には金メダルが輝いていました。まさかの敗戦から半年。見事、復活を果たした東大阪のケンタウロス。上山選手が次に目指すのは、世界ランキング1位です。(読売テレビ 「あすリートplus」6月3日放送)
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